やりたいことだけをやる、の本当の意味
フラスコ代表、安田です。これからの時代、誰もが自分のやりたいことをやった方が良いと思います。しかし、「やりたいことだけをやれば良い」「気が進まないことは一切、やらなくて良い」とまで言われてしまうと、大いに違和感を感じます。
自分に嘘をついて生きること
私はサラリーマン時代、自分に嘘をついて生きていました。まあ、部署の希望などは通してもらった方なので、周りからは私は自由奔放にやりたいことをやっているように見えていたかもしれませんが(笑)、自分としては「やるべきこと」に縛られて、我慢に我慢を重ねてきたと認識しています。組織人である以上、当然ですけどね。
もちろん仕事もきっちりこなした上で勉強もしましたし、人間関係を始めとした多少の理不尽も、それなりにうまく捌きました。ストレスはありましたが、得意なことも苦手なことも、一度は自分でやってみようと思って「訓練」をしているという感覚が常にありました。そしてそれは実際、今となっては大いに力になっているんですよね。事務作業などの苦手なことでも、そこそここなせますし。
そして今は、幸いにもかなり「やりたいこと」ができるようになってきています。概ね自分の好きな人たちと、自分の好きなことや得意なことだけを。ただその状態は、願ったら潜在意識が引き寄せて勝手に手に入った、などというものではありません。その過程ではやりたくないこともたくさんやっていますし、今でもそういう部分はあります。
やりたいことをやると磨かれる
確かに、苦手なことにも耐えていくよりは、得意なことだけを一生続けた方が尖るっていうのは本当だろうなと思います。高い専門性のある人なら、そんな生き方も許されるかもしれません。得意なこと・やりたいこと・好きなことだけを一生続けていればその分野で突出することができるので勝ちやすい、というかそれしか勝つ方法はないだろう、というのが今の世の中の風潮です。
一見、もっともらしい話なんですよね。バランス良く、ゼネラリストになりましょうなんていう話より「尖るか、死ぬか」みたいな話の方が圧倒的にわかりやすいですから。圧倒的な成功者を見ると、確かにそれが正しそうに見えます。イチローも羽生くんも藤井聡太くんもみんなそうでしょ、というわけです。でもそれ、生存者バイアスです。野球だけやってて成功していない人、めちゃくちゃたくさんいますから。
やりたくないことはやらない?
誤解のないように言えば、明確な目標があってそれに向けて頑張っている人は良いんです。野球選手になろうと思って練習に明け暮れている子がいたら、まあ勉強もやっておこうぜっとは思いますけど基本的にはそれを頑張ったら良いです。役者や歌手を本気で目指す時期があっても良い。努力の仕方は応用が効きますから、特に若い頃はそれで良いです。ただこれを、ビジネスの世界でも適用してしまう人が多くなってきているのは、心配です。
「本当は今日までに○○をしないといけないけど、心の声が止めるので自分に許可を出して、遊びます!」みたいな。いやいや、今日までにやらなきゃいけないことは今日までにやらなきゃいけないでしょって。そんな感じで、やるべきことをやらないで「心の声」に従い続けた結果、待っているのは普通に破滅です。まあ死んでしまうことはないかもしれませんが、信用を失ってビジネス的には失敗する可能性が高まるだけです。
時間軸とスケールの違い
〆切があるということは、誰かと何らかの約束をしているわけですから、それは守らないといけません。どうしても心の声に従いたいのなら、最初からその約束をしないことです。もちろん、仕事を断れば収入が減ります。心の声が大好きな人は必ず「嫌なことを手離せば、必ず入ってくるんです」なんて目をキラキラさせながら言うのですが、そこを他力本願になっちゃダメです。
だったら好きなこと、得意なことでその埋め合わせをするべく、具体的な行動をしたり考え抜かないと。人間は弱いものなので、心の声に従えば仕事をするより喫茶店でお茶をする方が快適に決まっています。許可を出してケーキセットを食べて、セルフイメージが高まっても何も起こりません。具体的に言えば、長期の時間軸・大きな意味でやりたいことをやりたければ、短期的・小さなことは義務を果たさないといけません。
信用>やりたいこと
大切なことは、理想的な状態から逆算して目先はやるべきことをやるということです。好きな人に囲まれてやりたいことをやれるようになるためには、目の前の人から信用を勝ち取り、それを蓄積していくことが欠かせないと私は考えます。「気が進まない」という理由で誰かの信用を失えば、いずれその結果は自分に返ってきます。約束を破ることは、自分の望まない状態に確実に一歩近づく行為です。
え、何を当たり前のことを長々と言っているのかって?もしあなたがこのことを当たり前だと思うなら(そして私のブログをわざわざ読んでくれている人にはそういう人が圧倒的に多いでしょうけれども)、良かったです。結構、それが当たり前でなくなっている人もいるんですよ、っていうお話です。フラスコには、これを当たり前と思える人に集まって欲しいと、切に願います。