夢とお金の専門家、シナジーブレインの安田 修です。
近年、社会的課題を解決するための「社会的起業」を目指す若者が多くなっていますが、世の中を変えようと思ったら、起業家を含め誰かの善意に頼るのではダメです。参加者のそれぞれにちゃんとメリットがある、お金が回る仕組みを作る事が重要だと思います。
寄付をすることで物乞いは救われるのか
私は20歳のとき、3ヶ月ほどかけてインド放浪の旅をしたことがあります。なぜと言われると困るのですが、今思えば世の中をもっと知りたかったんでしょうね。そこでは数々の面白いあるいは過酷な体験をしたのですが、それは今回のテーマとは直接関係ありません。
カルカッタの空港に降り立った瞬間から押し寄せる「物乞い(乞食)」が今回のテーマです。街を歩けばいつも、片腕の無い物乞いがもう片方の腕で私の足を掴み、目の見えない子どもを連れた女性がこちらを拝む動作をする。物乞いとして「効率化」するために生まれたばかりの我が子の腕や視力を奪う親がいる、という噂も聞きました。
インドはカースト社会です(カースト制度は公式には廃止されていますが・・・)から、親が物乞いであれば子も物乞いをするしかない。壮絶な現実です。20年近く前のことなので、今は少しは変わっている事を願います。そこを旅した日本人は皆、自らの境遇が如何に幸運かを実感するとともに、葛藤するわけですね。
確かに自分はお金を持っているけれども、目の前の物乞いに小銭を渡したところで、世の中は何も変わらないのではないか・・・と。20歳の時の経験であり、いかにも青臭い話ですが、これが問題意識の原点です。
魚を与えるより、魚の釣り方を教えるよりも
そのとき私が持っていたお金は、せいぜい2千ドルです。自分なりには必死にアルバイトをして貯めたお金であり、インド国内の旅費も含めて3ヶ月それで暮らすと考えるとそれほどの金額ではありませんが、実はそれは、目の前の物乞い1人を一生食べさせていく事ができる金額です。
しかし、当時はともかく今は確信しているのですが、本当にそれをやったとしても無駄な事です。彼はきっと慣れない豪遊をして身を持ち崩し、また物乞いに戻っていく事でしょう。砂漠に水を撒くようなものです。
良く言われることですが、いつもお腹を空かせている人には魚を与えるより、魚の釣り方を教える方が良いのです。もっと言うと、それよりも「自分も魚を釣ることができる、魚を釣りたい」と気付いてもらうことが必要なのです。物乞い以外に、生活する手段があるということに気付いてもらう。準備すべきは、その手段と啓蒙だと。
寄付とマイクロファイナンス
最近余り聞きませんが、マイクロファイナンスってありますよね。グラミン銀行が先駆けですが、貧困層に向けた小口融資のことです。慈善じゃなくて、きちんと金利を取ります。借りる側はそれで機織り機を買ったり家畜を買ったりして、きちんと返済する。貸す側も、ビジネスとして成功している。
むしろマイクロファイナンスは「儲け過ぎ」と批判されているくらいです。それでも、借りる側にも明らかにメリットがあるので、素晴らしい仕組みだと私は思います。これの派生で、まだそれほどメジャーではありませんがマイクロインシュランス(小口保険)、なんてのもありますね。楽しみな動きだと思います。
善意で行うサービスは、長続きしません。ボランティアやNPO・NGOは問題意識を持っている間は無償もしくは利益を出さずにその活動を熱心に行いますが、いつか燃え尽き、問題意識が変化すれば撤退します。誰も彼らを責めることはできません。それでは、問題の解決にはならないと思うのです。
価値のあるサービスは必ず有償の仕組みにできる
私は、価値のあるサービスは必ず、関係者全員にメリットがある有償の仕組みにできると考えています。なぜなら、お金とは感謝が形を変えたものに過ぎないからです。例えば物乞いを救うために事業を作るなら、彼らに十分な給料を払わないと嘘です。そのためには、利用者が本当に嬉しいサービスを作り、適切な料金を取らないといけない。
社会を変えるために起業をするなら、参加者の誰一人として、善意だけでやっている人がいてはならない。だから私は、行き過ぎた社会的起業については懐疑的です。世の中を変えるためには、自分の給料はゼロでも良い?それだと、一生は続けられないでしょう。そうじゃないんです、自分が幸せになるための給料は取らないといけない。
利潤を最大化する必要はないけれども、ステークホルダー全員が潤う仕組みを作る。これは、世の中を変えるためにも必要なことなんです。善意よりもお金が世の中を変えるというのは、そういうことです。善意だけでやるなら、お金だけを目的にやった方がマシです。それでも結果として、世の中は良くなりますから。
もちろん、善意や夢、目的意識は高く持った方が良い事は言うまでもありません。目的と結果の間、夢が形になる前に、必ず一度、お金という中間形態を取ります。ここを仕組みとしてコントロールできないなら、夢が叶うことはないでしょう。私はそういう意味で「夢見るリアリスト」でありたいと思うんです。それでは、また。