長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。
この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが13日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。私は自分の頭で考えることを重視しています。そうしないと生きている意味がない、とまで思います。
納得するまで動かない子
特に何か、自分の頭で考えることが大切と考えることにきっかけがあったわけではありません。親の教育方針でそうなったわけでもありません。生まれながらにして、そうでした。そんなはずはないと思われるかもしれませんが、息子を見ていて確信しました。間違いなく私は、遺伝子レベルで自分の頭で考えることを重視してきたんです。
誰かに命令されて、何も考えずにそれに従うのが大嫌いです。「いいからとにかく、やれ」と言われたら行動が完全に止まってしまいます。なぜそれが必要なのか、そもそもの方針や取組意義にまで戻って考え抜かないと、本気で動き出すことができないんです。一度腹に落ちさえすれば、信念を持ってそのことをやり続けることができますが。
教育方針が関係しているとすれば、私の両親は私のそういう個性を、世の中に合わせて無理やり平均的なものに矯正しようとは考えなかったようです。放任といえばそうなのですが、これはありがたかったなあと感謝しています。
将棋と麻雀で培われたもの
鶏が先か卵が先かみたいな話ですが、頭を使ったゲームは大好きです。将棋にハマってプロを目指そうと思った時期もありましたし、麻雀にハマって「何を切る」みたいな夢(寝てみる方)を見たこともありました。将棋では定跡や過去の棋譜を研究し、麻雀では確率論や読みの理論を勉強して、ますます考えることは好きになっていきました。
金融を仕事に選び、結果としてシステムをキャリアの最初に経験したのも、そういう論理的な世界が性に合ったのでしょう。自分の頭で考え抜いて、理屈を武器に(比較的)合理的な意思決定ができる世界は、楽しかったんですね。融資を卒業して証券投資に行こうと思ったのも、より純粋に合理的な世界に憧れたのかもしれません。
サラリーマンが続けられない
今にして思えば、サラリーマンを辞めたのもそういう純粋な「正しさ」対する憧れというか、自分の頭で考えることを突き詰めてみたいという願望に抗いきれなくなったということなのかもしれません。サラリーマンという立場で「命令されて何も考えずに動くのがイヤ」なんて言ってたら、だんだん苦しくなるのは当たり前ですしね。
「清濁併せ吞む、仕事とはそういうものだ」という考え方が普通で、不本意な仕事なんていくらでもあるのですが、だからこそ高い給料を安定して貰えるんだと割り切ることがどうしてもできなかったんです。給料というのは我慢料だ、と達観してしまえばもっと人生は楽だったのかもしれません。ま、それで幸せかというと大いに疑問ですが。
一人合宿で考え抜く
サラリーマン時代は特にそうでしたが、起業をしてからもしばらくは雑務がかなりあり、落ち着いて考える時間が取れませんでした。これではいけないと思って始めたのが「一人合宿」です。通常業務を全て止め、ビジネスホテルに一人で何日も泊まり込んで、ノート片手にひたすら考え抜く時間を確保するんですね。何なら断食までしたりして。
で、これを言うと変態だと思われるんですけど、その一人合宿が至福の時間なんですよ。雑務を通じて頭の中には多量の情報がごちゃごちゃになっており、それを整理して考え抜くことで美しい結論を導く。そしてまた雑然とした現実に戻っていくわけですが、その考え抜くプロセスがたまらなく楽しいんですね。生きてる、って実感します。
もちろん忍耐も運も大切だけど
私は「人生、やりたいことだけをやろう」、なんて言うつもりはありません。ただ、自分が信じ抜ける「正しい」目標に関係した面倒なことや疲れることもやるということで、その目的と関係ないことはやらなくても良いとは思っています。忍耐も必要ですが、ただ食べるためだけに何でもかんでも耐えるというのは間違っていると考えています。
また、考え抜いた目標に向けて正しい努力を積み重ねることは大切だと考えてはいますが、そうすれば絶対にお金持ちになれるとは思いません。人生において運や巡り合わせの要素は、とても大きいからです。麻雀だって、どんなに最善を尽くしても負けるときはボロクソに負けますしね。見えにくいですが、それは将棋ですら同じです。
なので運は大切です。でも人は目標を考え抜き、正しい努力を積み重ねることしかできないんだと思うんですね。人事を尽くして天命を待つという言葉は好きなのですが、そういうことです。最善の人生を求めて進み続けること、それこそが人生そのものだと思うから、成功するかどうかは二の次だと実は思っているんです。それでは、また。