長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。
この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが20日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。時系列で人生を振り返るのも一巡したので、今回からしばらくは価値観について書いていきます。最初は夢です。
プロ棋士になるのが夢
小さな頃に夢を見ていた記憶はありません。あ、夜寝ている時にはたくさん夢を見ていましたが、今はたまにしか見なくなりましたね。今回のテーマはもちろんそっちの夢ではなくて、目を開けて見る夢の方です。うちの息子はサッカー選手、娘はパン屋さんなんて言っていますが、私自身が小さな頃はこれといった夢がなかったんです。
強いて言えば、小学生の時に言い出した「将棋のプロ棋士になりたい」でしょうかね。その頃の私にとっては将棋が面白くて仕方なく、田舎の子供どころか大人を含めても敵なしのレベルになっていたので、プロになりたいと思ったんですね。小学生から奨励会に入るなら遅くはないかなという感じですが、これは行かなくて良かったです。
どう考えても、実力不足ですから。都会に出たら年下の子でも強い人は掃いて捨てるほど居たでしょう。井の中の蛙にもほどがあります。それでも人並み外れた根性があればもしかしたら、とは思いますが当時の甘ったれな自分では1年も保たずに帰ってきたでしょうね。プロ棋士になったら幸せとも思いませんし、止めてくれた親には感謝です。
限られた選択肢で夢は見ない
その後、中学高校と進む中で周りが「学校の先生になりたい」とか「看護婦になりたい」と言い出しましたが、これには強烈な違和感がありました。全く情報が足りていない中で、夢を言えと迫られてとりあえず知っている仕事の名前を言っているだけじゃないかと思ったんです。でも実際にその職業に進む人も多くて、私にとっては驚きでした。
世間知らずの高校生、とりわけ田舎で育った私にとっては、夢について語るのは時期尚早だと考えていました。北大の経済学部に進めば世の中のことが少しはわかり、金融機関に入ればもっと見えてくるので、その情報を元に「勝負ビジネス」を決めれば良いと思ったんですね。なんだか夢のない話ですが、そういう子だったんです。
今では子供の頃は「夢のある夢」を見ていれば良いと思いますが、できるだけ良い大学を出て大きな会社に入ることは、人生にとって有益だとは引き続き考えています。情報すなわち選択肢は多ければ多いほど豊かな人生を選択できることでしょう。迷うくらいなら余計なことは知りたくない、というのは人生に対する欺瞞です。
夢なんてくだらない
サラリーマンをやっていても、「俺には夢がある。いつかきっと・・・」なんて居酒屋で語り出す人はくだらないなあと感じていました。百歩譲っていつかきっとは良いとして、そのために今は何をしているのかというと、何もしていなかったりするからです。お酒と自分に酔って、一時的に気持ち良くなっているだけです。
劇団とか楽団とか、お金にならない夢を追って昼間はアルバイトをして良い歳になってしまった人も、夢を語って異性を口説いていたりして、格好悪いなあと。私もいずれ起業をすると考えていたので似たようなものなのですが、そのことを絶対に口には出さないようにしていました。口に出すときは、行動に移したときだと。
これについては今は、安心して夢を語れる場があればもっと早く動き出すことができたのにと思います。上司も同僚も友人も妻も、夢の話をすればバカにされるかもしれませんし、情報が漏れて会社にいづらくなってしまうかもしれません。胸に秘めるのも良し悪しで、そのこと自体がストレスになりますからね。
夢を目標に変えて実現する
夢に関しては「いつかきっと・・・」にはあまり意味がないと思うんです。「夢に日付を!」と言ったのはワタミの創業者さんですが、これは真理でしょう。「いつかきっとサラリーマンを辞めて起業をする」と言っているうちは何も起こりませんが、「1年後に起業をする」と決めてしまえばそれはもはや、絵空事ではなくなります。
「夢なんて、叶わないからこそ良いんだ」という価値観の人もいますが、私は違います。夢は日付を入れて目標に変えて、実現するもしくは実現に向けて正しい努力を積み重ねていくものです。15年間悩み続けたサラリーマンを卒業し、会社を辞めて起業をして自由を手に入れていく中で、そのことは確信に変わっていきました。
夢はお金と並ぶ、タブーです。夢の話をすれば「年甲斐もなくバカなことを言うんじゃない」とバカにされ、叱られます。しかし私は、その夢に正面から取り組むことで、拓けてくる人生があるんだと信じています。長期的な視点で、夢を目標に変えて実現する。それが人生そのものなんだと考えています。それでは、また。