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信用の器 フラスコ

投資ファンドへの派遣、外の空気を吸ってしまう(10万字の長すぎる自己紹介24/50)

長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。

この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが27日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。財務営業の次は、投資ファンドへの派遣でした。これがまた、刺激的な1年間だったのです。

投資ファンドへの派遣

財務フロントに2年半(点検があったので期間が中途半端)いて、これで社会人としてちょうど10年が経過したわけです。システムエンジニアから融資ミドル、融資フロントとやりたいようにやらせて貰っていた私に、次なる内示が出ます。銀行系列の某バイアウト・メザニンファンドへの派遣です。何だか良くわかりませんよね。

簡単に言うと、『ハゲタカ』っていうドラマなり映画なり小説を読んだことがあるなら、語弊はありますが要するにあれです。投資家からお金を集めて、会社を買って(またはメザニン投資して)、企業価値を高めて売るというビジネスをするための「ハコ」が投資ファンドです。そのハコそのものというか、ハコの運営会社に行ったんです。

腐った会社を・・・買い叩く!

この「企業価値を高めて」とさらっと書いた部分がクセモノで、それこそリストラしたりもするわけです。ファンドにもよりますが、えげつないことをするケースもあります。まあ銀行系なのでそこまで酷いことはしませんが、社長を変えたり早期退職を募ったり事業売却したり、その程度は普通にやります。比較的タブーはありません。

要するに安く買えて高く売れれば、基本的に手段は問わないんです。ボロボロな会社を高く買ってしまわないように徹底的に調査をしたり(デューデリジェンス)、投資委員会にかけて買値の妥当性について判断したり。投資をした後は取締役会に出たり経営陣に直接意見したりしてコントロールします。会社の裏側まで全部見えます。

お金の流れを通じて世の中のことを知りたかった私にとっては、理想的な仕事でした。融資だけではなくて投資の仕事をしたいという要望も容れてもらっていますし、会計士や証券、コンサルタントや銀行といった様々な背景の超優秀なメンバーに囲まれて夜遅くまで投資のことを考える生活は本当に有意義でしたし、何より楽しかったですね。

再び、コウモリ生活へ

身分としてはトレーナー派遣で「勉強をしてくれば良い」ということなのですが、場合によっては「お前は日本生命の人間なのかファンドの人間なのか、どっちなんだ」みたいな場面があったりします。何ていうんでしょうか、親善大使でありていの良い人質であり、なおかつ二重スパイである、みたいな立場ですからね。

ファンドのことを勉強して日本生命に報告する義務もあり、ファンドに対する守秘義務もありという。最初の配属でも出向という難しい立場でしたが、この時も同じように、コウモリのような感じでした。比較的何でも教えてくれる会社で、仕事も遠慮なく振って頂いたのでとても勉強になりましたが、一応はお客さんみたいな立場でもあるという。

契約書と投資家との格闘

ファンドでは投資判断や投資後のモニタリングだけではなく、ファンドレイズといって新しい投資家を募集してファンドを立ち上げる仕事にも携わらせて頂きました。リーマンショック後の市場が冷え切っていたときで、どの投資家もまだまだ様子見でした。まあリスク性資産の筆頭みたいな存在ですからね、ファンド投資は。

そんな中でもまた新しいことをやってみたいと考える投資家や、逆に今がチャンスだという「真っ当な」判断を社内で認知させつつある投資家、また逆に羹に懲りて膾を吹くみたいな超保守的な投資家もいたりして(どの会社がどうとは言いませんが)、これも非常に興味深い業務でした。1年間では、ファンドが立ち上がらずに終わりましたが。

投資のスキームって面白くて、ある特定の目的のために法人を作ったり、信託勘定を使ったり海外を経由する特殊なお金の流れを作ったりと、ありとあらゆる手段を使います。契約書も複雑で、ちょっと読んだだけでは意味が取れないような書き方だったり構成だったりしています。これは、勉強になりましたね。

外の世界を知り、自由な発想を得る

何より、日本生命とは全く違うカルチャーを体験できました。おそらくは本体の銀行とも全く違うのではないでしょうか。非常に自由闊達で、合理的な空気が充満していて、とても充実した仕事ができる環境でした。たまには外の空気を吸うのは、とても良い経験になると思います。私はそういう意味でも、恵まれているんですよね。

こんなことを書いてしまうと後輩が派遣に出してもらえなくなってしまうかもしれませんが、やはり外の世界を知って、「このままではいけない」という思いを強めたのは事実ですね。ただ一度の人生を、いろんなことを諦めて家族のためにただひたすら耐えるだけなんて、今の時代にそんなわけがないだろうと。

この期間、そんなことはおくびにも出しませんでしたが、「もっと自由に、好奇心あふれる生き方ができるはずだ」という確信が強まったんですよね。起業まであと4年、砂時計は着々と落ち続けていたのです。それでは、また。