長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。
この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが37日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。入社と同時にシステム子会社へと出向、意識高く仕事をしていたつもりの私ですが、全く通用しない日々でした。
ニッセイくん、噛み付く
「同期の2倍は無理ですが、1.2倍頑張ります」と宣言して意識高く頑張っていた私ですが、最初は配属先のチームではあまり仕事をさせて貰えませんでした。やることがないので17:00時過ぎには帰るという、今思えば最高の生活をしていましたが、早く成長をしたい新人にとってはその環境って強いストレスでもあるんですよね。
「干されている」と感じていました。何の実績もない新人をわざわざ干す組織もないと思うので、単純に任せるだけの仕事がなかっただけでしょう。単純作業をやらせるくらいなら、本でも読んで勉強しておいてもらった方が良いと。ああ、なんて素晴らしいチーム!そのまま毎日、早帰りをして遊びまくっておけば良かったですね(笑)。
でも当時の私は若かったこともあり、「このままではここにいる意味がない」などと業務日誌に書いたりして、必死に仕事が欲しいアピールをしました。結果として少しずつ開発や保守管理の仕事をやらせてもらって、さらに「もっと仕事を!」と言い続けていた結果、いろんな人が気にかけてくれて、一気に仕事が増えました。少しずつ増えれば一番良いのですが、どどっと一気に。そんなものですよね。
プロジェクト管理に抜擢
お客さんである日本生命との折衝・提案をするお手伝いや、プロジェクト管理のような仕事も「やってみるか」と任せて貰えるようになりました。一種の抜擢ですが、それって現場でいちから育ててやろうと思っていた先輩から見たら、面白くなかったろうと思います。大事な会議と重なるようなタイミングで、現場の仕事を振られたりしました。
いじめとまでは言いませんが、ちょっとしたやっかみはあったと思います。正規のライン以外から仕事を貰うことが、良く思われるはずもないですよね。きっと、出向者だから特別扱いをされていると見えていたでしょうし、実際にそういう面もあったでしょう。個性として声が大きいということが、立場により増幅された感じです。
全く通用しない日々
それも言い訳としてはちょっとはあるのですが、それがなかったとしても、抜擢された仕事では全く通用しませんでした。これも当たり前で、積み上げが全くない中での上のレベルの仕事でしたから、よほどの才能がないと通じないのが普通です。私は全然天才ではないので、当たり前に通用しないだけのことだと今は冷静に考えられます。
正直言えば、それまでは自分が特別な存在だとどこかで思っていました。チャンスさえ与えられて本気を出せば誰にも負けない、何でもできるんだと。恥ずかしい話ですが、それまで挫折知らずに生きてきたので、無限の才能があると信じていたんですね。子供と同じです。社会に出て、初めて壁に当たった感じでしたね。
泣きながらのハードワーク
上司から「全くできていない」なんて言われて、トイレに駆け込んで泣いたこともありました。どうやったらプロジェクトが円滑に回るのか、スキルが足りない中で他の人にも仕事をして貰うにはどうしたら良いか、有識者の力を借りて課題の洗い出しをするにはどんな動きをするべきか、自分の役割は何か。これ、自分にできるのだろうか。
毎日終電近くまで手を動かして働きながら、そんなことを考え続ける日々でした。まさに「走りながら考える」ですね。スキル不足を補うべく、マニュアル類を縮小コピーして持ち帰って週末に読み込んだり、朝早く言ってソースコードを追ったりしましたが、どんなに頑張ってもすぐには仕事ができるようになりませんでした。
勉強は、逃げ道でもある
資格試験も多くあります。日本生命の職員はたくさんの難関資格を取得しなくてはなりませんし、業界共通の試験もあり、それに加えて私の場合はシステムの資格も取らなくてはなりませんでした。2ヶ月に1回くらい、何かの試験がある感じです。土日は仕事の勉強をしているか、資格の勉強しているのが普通でした。ああ忙しい。
でもファミレスにこもって勉強をしていると、ある意味で心地良かったりもするんです。仕事と違って、勉強はやればやるだけすぐに結果が出ますから。勉強して、合格して、より難しい資格に挑む。それって、快感なんですよ。そうやってダメなサラリーマンは資格マニアになっていきます。まさに、当時の私がそうでした。
ソフトウェア開発技術者、オラクル、AFP、TOEIC、証券アナリスト一次、次々と目標を設定して達成していきました。仕事で通用しない分、逃げ道として資格取得に傾注していきましたね。裏を返せばそれだけ、辛い時期だったということだと思います。許してあげてください(笑)。それでは、また。