長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。
この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが41日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。もうすぐ大学を卒業して社会人になる(ブログ上で)ので、この辺りで麻雀について書いておきましょう。
麻雀との出会い
麻雀とは何かとかはさすがに良いですかね?4人で長方形の牌を使って絵合わせをする、ドンジャラみたいなやつです。役があって点数計算があって、牌の呼び方や用語も中国語だったりして、初心者にはちょっととっつきにくい(普通は最初、ぼろ負けする)のですが、ハマると寝食を忘れて没頭してしまう、中毒性の高いゲームです。
私も一時期ハマっていたのですが、いつから麻雀をやっていたかと思い起こせば、中学校の頃だと思います。なぜか家に麻雀牌があったんですよね。母方の方がより田舎で農家をやっていたので、正月に親戚が集まって花札をやったりしてましたし、好きな家系なんでしょうね。そういえば花札もやってましたよ、子供ながらに。
両親はその辺り寛容というかなんというか、禁止はしないんですよね。祖父に連れられてパチンコ屋さんに行ってタバコの煙モクモクの店内で「羽根モノ」を打ったりもしてましたし。ただ、中学生の頃にはパチンコ(スロ)とタバコは「一回始めたら絶対、止められない」と考えて、一生やらないことに決めました。今でも一切、やっていません。
友人宅に入り浸る
そういう意味では麻雀は禁止の対象には入っていなかったので、本を買って来てルールを覚え、興味がありそうな友達を誘って中学生の頃から練習していました。高校に上がる頃には、麻雀牌がある友達を見つけて入り浸り、ちょいちょい打つようになりました。部活をやっていた頃はテスト期間で部活がない日にやってました(!)。
塾や予備校には行っていませんでしたが、わざわざ札幌までホテルをとってまで行かせてもらった夏期講習をサボって雀荘に行き、遊んだこともありました。雀荘なんて、ちょっと怖い感じがすると思います。まあ意外と安全に遊ぶことはできますが、良く行きましたよね。こういった類の、変な度胸は昔からありました。
大学に上がればもう「自由」ですから、友人宅に入り浸りですよ。普通に徹夜をして、牛丼を食べて朝帰りして寝る、みたいな。これじゃ学校に行けるわけがないですよね。雀荘にも通って、それなりの実力にはなったと思います。かと言って、これで食えると思うほどのセンスは感じませんでした。勝負師としては、全然通用しないなと。
今はコミュニケーションツール程度
なのでゲームもそうですが、これは社会人になってからやってたら人生を狂わせかねないと思い、止めました。とはいえ最初から麻雀好きの上司に当たったら仕方ない、と思っていたような気もします。幸いそういう上司に当たるのはかなり年次が高くなってからだったので、その頃には麻雀ができることすら周囲には気づかれていませんでした。
今では年に1回、正月に古くからの友人と麻雀を楽しむだけです。腕もかなり落ちましたし、雀荘に行くのはちょっと怖いです。常にやっていないと勘が働かなくなるんですよ。正月の麻雀なんて自分が下手すぎて嫌になりますが、「遊び」なので許せます。勝手も負けても楽しかったと思える程度には、人間的にも成長しましたし。
正月の麻雀ではもう徹夜もしなくなって来ましたが、みんなのお腹が空いた頃、「このゲームに負けたら牛丼を買ってくる」などの変な罰ゲームがありそれが屈辱という話はありますが、まあそれも含めて楽しんでいます。
麻雀の面白さは「人」と「流れ」の存在
麻雀の面白さは、一つはゴルフと一緒で、4人で卓を囲めばそれぞれの性格が良くわかるというところですね。理論派なのか、豪快なタイプなのか、それは追い込まれた時に変わるのか。3位からトップを目指すのか、手堅く2位を取るのか。負けを受け入れられる人なのか、勝ったらどんな態度になるのか。人生の様々なステージを、想像できます。
もう一つは流れの存在ですね。完全にロジック勝負の将棋とは違って、麻雀には運の要素もかなり強く入ってきます。もちろん確率のゲームではあるので、何も考えていない人は長くやったら負けますが、短期決戦では初心者がプロに勝つこともあります。確率論に基づいた読みや勘も大切なのですが、「流れ」があると確信できるんです。
確率論的には、負けが何回続いたってその次に勝てる確率は一定です。理論上は流れなんてないんです。もし麻雀を知らず、将棋だけをやっていたら「流れなんてない」という結論になっていたと思いますが、どう考えても流れはあります。それは、人生でも同じだと思うんです。流れに逆らわず、乗ったり耐えたりしながらやれること・やるべきことをやっていく。麻雀を通じて、そういう人生観になったような気がしますね。それでは、また。