長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。
この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが42日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。大学では学問をするべきだ、というご意見もあるでしょうけれども、私はこんな感じでした。
自由になることは恐ろしい
過去の投稿にも書きましたが、人は完全な自由を手に入れるとダメになります。自分で何でも決めていい、となれば楽な方を選ぶのが人間の本性なんですね。少なくとも私はそういう、弱い人間なんだっていうことが大学生になって良くわかりました。だから今でも、自由になることに対する恐怖感はあります。
誰かに管理されて、束縛されている人生はある意味で楽なんですよね。「自由からの逃走」です。そういえば大学時代、哲学にハマりかけて小難しい本を何冊も読みましたが、意味はほとんどわかりませんでした(笑)。自分の知性に限界があるんだということに気付けたのも、大学に行って良かったことです。
大学で学ぶ目的は何か
まあほぼそうやって、自由になったことに耐えられずに堕落していっただけなのですが、「何のために学ぶのか」が良くわからなくなったという言い訳もあるんです。とりあえず、大学に入るために勉強してきたのですから。大学で学ぶ目的が良い会社に入るためだとしたら、会社に入ったあとはどうなるのでしょうか。
教養とは何か、学びとは何か。経済学なんて極めたところで明日の株価の予想すらできないし、経済成長とか需要曲線とか、ありもしない前提ばっかりじゃない?何かの役にたつのかこれ。そんなことがわからなくなくなり、とりあえず単位を取るために勉強するようになります。いかにエネルギーを使わず、単位を取るか。
試験も論文も情報戦
目的を「単位を取る」ことに設定すると、試験も論文も情報戦だとわかります。過去問や講義ノートの入手、授業で強調されたポイントの情報収集、先生の主義主張と好みの把握、それらでほぼ勝負が決まります。もちろん勉強もしますが、単位というゴールから逆算して、一夜漬けで本質の理解と試験に出るところだけしかやりません。
教科書をイチから全部理解する、みたいな勉強法をする人が多いのですが、この観点からはムダです。教科書なんて、熟読する必要がない部分がほとんどです。ちなみに教科書が5千円とかしても、私は絶対に買う派です。買わなかったことで単位を落とせば、その損失は5千円どころではないですからね。その意味では中古も、情報が古い部分があることでの損失が大きいのでダメです。
現在の私の本にお金を惜しまないところとか、資格試験への取り組みスタンス(受かれば良い、お金は惜しまない)もこの頃にできたんですね、こうして見ると。目的から逆算して情報を集め、仕事を効率的に進めるためのノウハウもこの時期、かなり身につけたと感じます。大学は高等教育機関なんですよ、やっぱり。
コピペも別に良いんじゃない?
最近「学生が宿題をインターネットで調べてコピペばかりする」と社会問題になっていますが、私はそれは別に構わないのではないかと思います。ネットに丸ごと載っているような情報を宿題やレポートの課題に出す方が悪いんです。著作権をクリアすることは覚えた方が良いと思いますが、ネット中心で全く問題ありません。
知識とか情報を蓄積するのは、もう人間の仕事じゃないんですよ。それらをもとに考えて、組み合わせて新しいイノベーションを生み出すのが人間の存在価値なので、イノベーション無しでは解けない問題を課題に出せば良いだけのこと。ちょっと余談でしたが、大学の教育というのはそういうものかなと思うのです。
社会に出て役に立つのは
大学に行ったことにどんな意味があるのかと考えるとき、高校を出てそのまま就職した場合と比較すれば良いのだと思いますが、きっと私はその場合、くそまじめに仕事に取り組んで、早い段階で壊れていただろうと想像します。経済的に苦労した人には怒られるかもしれませんが、大学は良くも悪くも「遊び」の期間ではないでしょうか。
この後、私はくそまじめに就職活動をして、15年間働き抜いて、人生計画というくそまじめなテーマで起業をすることになるのですが、それはこのダメで適当なモラトリアムの期間があったからこそ成立しているような気がします。人間、そんなに立派なものでもないし、若い時から計画的なわけでもないんです。
自由の怖さとか人間の弱さとか、そういうことを知った上で、長期的な視点というのは初めて成立するように思うんです。もしこの期間の経験がなくていきなり自由を手に入れたら、全てを失うかもしれませんし。やっぱり人生、ムダな経験というのは、無いんだと思いますよ。