長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。
この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが48日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。今回のテーマはスポーツ。まあ、スポーツに関しては全くもってセンスがありませんでした。
運動会が憂鬱
身体が弱かったこともありますが、スポーツは全くできませんでした。小学校の頃って、足が速いことが正義じゃないですか。走るのが早ければ女の子にもモテますし、人間として自信を持てるというか。運動ができないということは、その逆なわけですよ。バレンタインデーなんて苦行だと思っていましたし、どうしても卑屈になりますよね。
運動会なんて、楽しくもなんともありませんでした。自分のダメな部分を確認するだけの場ですからね。徒競走はビリではありませんでしたが、6人中せいぜい4位か5位。パワーがあるわけでもないので活躍できる競技がないんですよ。家族揃ってお弁当を食べるのはちょっと嬉しいですが、疲れるだけでイヤな行事だなあと思っていましたよ。
野球少年団での取り組み
小学校4年生から、野球少年団に入りました。その頃、まだJリーグもなくてサッカーはそこまで人気ではありませんでした。少なくとも田舎の方では、野球の方が盛んでしたね。父親が市役所で社会人野球をやっていて、今でも趣味で審判をしたりしているのですが、そんな影響もあって野球をすることになったんですね、多分。
まあこれもセンスがなかったので、そこまで上達しませんでした。ちょっと薄暗くなったらフライになったボールは全く見えないし、バットも重いんですよ(笑)。あまりやる気はありませんでしたが、強制的でもなんでも毎日走っていれば体力だけは付いて、小学校を卒業することには喘息がかなり落ち着いたので、良かったですけどね。
安西先生、バスケがしたいです
そんなでしたし、中学に上がったら「坊主」という大問題もあったので、野球を続けるつもりはありませんでした。バスケットボール部に入りました。父親はちょっとがっかりしたでしょうね。バスケを選んだことに確たる理由はありません。『スラムダンク』が流行るのは高校の頃ですから、まだ人気もありませんし。ボールが大きかったので、練習をすればなんとかなると思ったのかな?たまたま仲が良かった友達が入ったからとかそんな感じだったかもです。
ポジションはガードで、マジックジョンソンの真似をしてノールックパスをしてました。ノールックだからとんでもないところに飛んでいくんですよ、パスが(笑)。それでも中学は3年生が5人しかいない弱小チームだったので試合には出してもらいましたが、だらだらやってましたし、やっぱりうまくはなりませんでしたね。
高1の夏合宿を前に辞める
バスケは高校1年の夏まで続けましたが、夏合宿を前に退部届を提出しました。足を怪我していたこともありましたが、「才能がないから」というのがその理由です。この頃にはもう、フィジカルで全然勝てないということがはっきりしてくるんですよね。190センチある高校生とか、強い高校には普通にいますし。どんなにやっても、プロにはなれない。そもそもバスケには国内にプロリーグもなかったですし。
退部のときに顧問の先生からも言われましたけど、頑張れば試合に出ることくらいはできたかもしれません。でも、その先がないなと思いました。一方で、部活を最後まで頑張ったことで大学受験に失敗する可能性も高くなる。運動をやりきって、浪人して、それでも振り返って見れば良い人生だと思えるんじゃないのとも今は思いますが、当時は続ける意味がないと思いました。得意な勉強、大学受験に専念しようと判断したんですね。
勝てるところで努力する
これは賛否両論あると思いますが、高校生の私が得た教訓は「努力とは、できるだけ才能のある分野ですべきだ」ということです。弱点も磨き続ければ人並みにはなるかもしれない。でも、それでは抜きん出ることも突破することもできないし、ある意味非効率なんだと思うんです。長所を伸ばす方が、勝てる確率は高いのではないかと。
時間は有限ですから、できるだけ才能のある分野を徹底的に磨くことに集中すべきです。サラリーマン時代は苦手なこともたくさんやらざるを得ず、そのことにより得たものも多いので難しいところですが、少なくともこれからの人生は徹底的に、得意なところで戦っていこうと考えています。もしかしたら高校のときのこの決断が、その価値観に影響しているかもしれませんね。
もし小さな頃の私がそれなりに運動ができて、女の子にもちょっとモテていたりしたら、今の自分はないだろうと確信しています。おそらく、器用にサラリーマンを続けているのではないでしょうか。変な話ですが、不器用な自分、やれることとやれないことがはっきりしている自分であることには、感謝しているんですよ。それでは、また。