夢とお金の専門家、シナジーブレインの安田 修です。
妻が何か雑誌を手にして、珍しく真剣な顔をしています。そして僕の目を見て言いました「日本でも相対的貧困家庭が増えていて、それが問題なんだって」。妻の目は善意に満ちています。自分には何ができるだろうか、どうしたら世の中は良くなるか。どうしよう、言えない・・・うちも相対的貧困家庭なんだよ、なんて。
絶対的貧困と相対的貧困
厚生労働省によれば、日本の相対的貧困率は16.1%(平成25年国民生活基礎調査)となっており、傾向としては調査の回を重ねるごとに増加の一途を辿っています。OECD諸国の相対的貧困率の平均は10.2%なので、日本は貧困化が進んでいる国だ、というようにも見えますが、まずは言葉の定義を確認しましょう。
絶対的貧困とは、「必要最低限の生活水準を維持するための食糧・生活必需品を購入できる所得・消費水準に達していない絶対貧困者が、その国や地域の全人口に占める割合」で、世界銀行では1日の所得が1.25米ドルを貧困ラインとしています。これは大問題で、「絶対的貧困は撲滅すべき」ことは議論の必要がありません。
相対的貧困とは
一方で相対的貧困とは、「等価可処分所得の中央値の半分の金額未満の所得しかない人口が全人口に占める比率」とOECD(経済協力開発機構)により、定義されています。日本の場合、等価可処分所得の中央値は244万円、その半分の122万円未満の人が貧困層ということになります。
ここで注意が必要なのが「等価可処分所得」で、これは「世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って調整した所得」のことをいいます。「1人世帯よりは2人世帯の方がお金はかかるけど、倍まではいかないからその平方根の1.41くらいで割っておけば良いか」というくらいのノリで決められた指標だと推察します。
つまり、妻1人、子供2人の合計4人家族ならば、 4の平方根の2で割った所得が122万円以下、つまり所得が244万円以下であれば相対的貧困です。これは収入ではなくて所得ベースなので、年収で言えばざっくり360万円くらいですかね。月収30万円でもボーナス無しで家族が4人いれば、相対的貧困認定です。
シナジーブレイン社長の年収
唐突ですが、私の役員報酬は月20万円です。年間にして240万円、賞与はゼロ。そして小さな子供を2人抱えた4人家族なので、我が家はこれはもう堂々たる相対的貧困家庭なんですよ。ついでに言っておくと、サービス残業し放題というかそもそも残業という概念がなく、休日出勤ありまくりの超絶ブラック企業です。
だから、日本の相対的貧困を語る資格は私には無いわけです。「みんなっ、オラに・・・オラに少しずつ金をわけてくれっ」という状態ですね。それでも、貯蓄があったり不動産からの収入があったり(会計上は利益は出ていませんが)して、今までと同じ生活レベルで暮らしているのです。
その証拠に、妻が日本の貧困問題を気にするくらい、生活に不安を感じていないというわけです。なんか毎回妻を私が論破しているような記事の書き方になっていますが、実際には「その定義でいくとうちも相対的貧困なんだよ〜(笑)(・・・これはブログネタになる。にやり)」という程度ですのでご心配なく。
起業家の報酬は会社にとっての費用でしかない
で、役員報酬20万円でドン引きしている人もいるかもしれませんが、最初はこんなもんですよ。むしろゼロでも良いくらいです。社会保険などとの兼ね合いで20万円にしましたが、最初の3ヶ月はそれでも赤字です。ようやく給料と必要経費くらいは払えるようになってきたかな、という段階です。
役員報酬は自分に支払うとしても、会社を経営していく上では費用でしかありません。少ないと家計の現金が減っていきますが、多いと会社の現金が減っていきます。それだけのことで、報酬が多いのも少ないのも、起業家からすれば同じことです。どちらかが苦しくなれば、会社と家計で貸し借りをすることも可能です。
なので、税金や社会保険などのファクターを考慮して、最適な水準に決めれば良いのです。もちろん儲かってくれば、役員報酬も高くすれば良いですし、そもそも100%株主なので配当という方法もあります。よほど利益が見込めるのでなければ、最初から役員報酬を高くする意味はあまりないと言えるでしょう。
相対的貧困を撲滅するためには
話は元に戻りますが、相対的貧困を撲滅するためには、みんなでそろって貧乏になる必要があります。「相対的」という言葉の定義からは当然ですが、高い所得を得る人がいると脱出のハードルが高くなるので。相対的貧困は資産やライフステージも考慮されていませんし、先進国に当てはめるには不適当な定義だと思います。
絶対的な貧困、生活ができないような状態は決して放置してはいけないと思いますが、相対的な貧困は「撲滅」すべきものではないと考えます。相対的貧困状態にあっても子供が十分な教育を受けられる状態、上昇することができるチャンスは確保しつつ、それぞれの幸せを目指せば良い。そう考えます。それでは、また。