夢とお金の専門家、シナジーブレインの安田 修です。
経営者インタビュー第4弾、株式会社イマジンプラスの笹川社長にご登場頂きました。笹川会長は北海道のご出身で、私も参加させて頂いている「道産子社長会」の会長としてご縁があり、インタビューをお願いしました。バイタリティと気遣い溢れる、素晴らしい経営者です。
株式会社イマジンプラスの事業領域
シナジーブレイン安田(以下Y):まずは、御社の事業について簡潔に教えて下さい。
イマジンプラス笹川社長(以下S):人材派遣会社です。家電量販店でセールスプロモーションを行う人材の派遣が中心で、家電製品、デジタル関連の新製品販売に強みがあります。全国で販売員を育成し、大手メーカーなどのお客様にご提供しています。
創業時はパソコンと各種ソフトウェア、デジタル関連製品に程度特化していましたが、今ではスマートフォンやその他の家電、理美容系など各種新製品も幅広く取り扱っています。
創業以来、お客様のご要望でコールセンタースタッフや事務系スタッフ、営業マンといった人材派遣、不足するリソースを提供する形で事業が広がっています。正社員の紹介や教育事業も当社の事業領域です。
Y:最初はパソコンからスタートしたのですね。
S:はい。当社創業の1996年当時はまさにインターネットの黎明期でした。まだパソコンの価値を誰もが理解しているわけではない時期でしたが、私は3社目に働いた会社でパソコンスクールを経験しており、オタクではありませんが、パソコンの知識に明るかったのです。当時はパソコン通信など、特に女性は殆どしていませんでしたから。
そこで、新規事業をやりたいということで市場調査をしたところ、パソコンの展示会が非常に活発だったのですが、世の中に「きれいでかわいいコンパニオン」はいるけれども、「商品知識を持った女性コンパニオン」は全くいませんでした。そこで「そうだ、OAコンパニオンを養成してみよう」と思い立ち、女子大生を集めてパソコンやインターネットの基礎知識や接客スキルを教え、大手家電メーカーに売り込みにいきました。そうしたら、「良く来てくれた、そういう人を待っていました!」と熱烈に歓迎されて(笑)。
一つの大手と取引が始まると、そこからは外資系を含む他の大手との取引が次々に始まり、全国展開もしていきました。やがて売上高は50億円近くとなり、上場を目指せるところまで業容が拡大しました。リーマンショックで売上が落ちたので上場は一度見送りましたが、月間1000人くらいに給料をお支払いしているという状況です。
創業に至るまでの経緯、福武書店への思い
Y:すごい!爆発的な展開ですね。創業に至るまでの経緯を詳しくお聞かせ願えますか?パソコンスクールが3社目ということは、1社目・2社目は「華麗なキャリアアップ」だったのでしょうか。
S:全くそういうことではありませんでした。今は私も社長として、新卒研修などの場では「会社から見て、3年では元が取れないから5年くらい働いて下さい」と若い人に言っていますが、実は私自身は1社目を1年、2社目を1年半で辞めました。
昔はボランティアなどの選択肢もなく、転職も一般的ではなくて、仕事を辞めると無職という扱いでした。その時は、普段はあまり人目を気にしない私でも、「こんなことでは将来どうなるのだろうか」と真剣に考えました。最後はいつも「何とかなる」と思ってはいましたが。
そもそも、私は就職活動で1社しか受けなかったんです。これも、今は就職の専門家としては「本命だけでなく、できるだけ多くの会社を受けなさい」と学生さんに話をしているのですけど(笑)。ところで、安田さんは福武書店という会社、ご存知ですか?
Y:ええっと、はい。今のベネッセですよね。
S:そうそう。その福武書店は当時から進研ゼミも有名でしたが、出版社として文芸作品も出していました。私は文芸に興味があり、福武書店の熱烈なファンだったわけです。「とにかく就職先として福武書店以外は考えられない、絶対ここに就職したい」という状態でした。
唯一の例外として面接を受けたのはリクルート社です。リクルートは当時、採用に積極的だったので、魅力的な先輩リクルーターに誘われ、何となく面接まで行きましたが、「第一希望はどこですか」「福武書店です」「当社と福武書店の両方から内定が出たらどうしますか」「もちろん福武書店です」と受け答えをしていたら、連絡が来なくなりました(笑)。
福武書店には電話をしたりして、しつこくアプローチをしていましたが、1次募集に落ちてしまい、それでも他はいっさい受けずに、2次募集をひたすら待ち続けました。
Y:ええっ、一途ですね。
S:本当に、すごく一途だったんですよ。今思うとそれも私の身勝手な想いであり、ストーカーみたいなものですよね。1月に2次募集があったのですが、それも落ちてしまいました。当時は「どうして採用してくれないのか」と大きなショックを感じていました。
それで、4年生の2月になってほとんど何も活動していなくて、たまたま受けた小さな出版社に内定が出たので、これも失礼な話ですけど、「どこでもいいからがんばろう!」と入社しました。それからそこで営業をやり、企画を作って広告を取り、座談会を企画してと、会社に泊まり込んだりしてばりばり仕事をしていました。
一所懸命働くと、必ず誰かが見ている
Y:そこでやる気を失わないのがすごいですね。
S:それは、一つには中途入社の45歳の同期の女性が素晴らしかったこともあります。本当に目がキラキラしていて、今お会いする有名人の方でも、あれほど目がきれいな人はいません。「世の中を啓蒙する雑誌を作る、一流であれ」という高い理想を持っていました。
その人が、「あなたの知識・知恵・人脈は誰も持っていけないのだから、勉強しなさい」「営業で空き時間があったら喫茶店に入ってはいけない。本屋に行くか、お客さんのところに行きなさい」と教えて貰い、それを実践していました。
本屋では立ち読みだけで本を一冊、一週間で読破していましたし、お客さんのところに行っても気に入って頂けました。これは、北海道という地方だったということもあり、のどかだった時代背景もあり、女性だということも背景にはありましたね。
そうして一流を目指して努力をしていると、自分は一流の編集者にはなれない、という才能の限界に気付くわけです。それよりは、企画したり営業することに向いていると思い、方向転換した方が良いと思うようになりました。
Y:僅か一年で見切りを付けたわけですか。決断が早いですね。
S:期間は短いですが、休み無く一所懸命働いたので、気付けたということだと思います。当時の上司は、31歳の副編集長で、女性がバリバリ働く環境に当たり前に身を置けたことが、のちのちのキャリアにとっても、良かったと思います。2社目は古本屋さんですが、学生時代にアルバイトをしていた古本屋さんで小冊子などを使った企画をしたいというお話があり、編集企画室長という肩書きを頂けたので、そちらに転職しました。新しいことに積極的な会社で、今で言うブックオフのような業態ですね。
Y:編集企画室長・・・社会人2年目ですよね。
S:そうは言っても、小さなベンチャー企業でして。。そこでも座談会の企画や小冊子の編集、店舗での古本仕入、販売など楽しくやっていました。
ただ、若気の至りというか、もっと営業・企画をやってみたいと考え、1年半で退職しました。
それで、3ヶ月間は家庭教師のアルバイトをするなどして、転職活動をすることもなくプラプラしていたのですが、一社目で知り合った取引先の方から紹介を頂き、「ワープロスクールで企画営業をできる女性を探している」とのお話がありました。その紹介者の彼女が「これから絶対パソコンの時代だから、絶対良いよ」とお勧めしてくれました。面接に行ったところ、とんとんと決まりました。
Y:その方、先見の明がありますね。
S:そうなんですよ。今から28年も前ですよ!
そこに入社してから3ヶ月間、冬の朝、毎日頑張って大学の前で生徒募集のチラシを撒いたりしていました。それで、「これだけ全力を尽くして成果が出ないなら、向かないのではないか」と考えるようになりました。既に2つ会社を辞めていたので、クセになるというか、見切りが早くなるのかもしれません。
実はその時に、1番目の会社の同業(住宅雑誌発行)の最大手が札幌にあったのですが、そこの方から電話がありました。新卒の当時、「この人はすごく頑張る子だ」と見ていたと。求人広告をストップして待っているから、すぐに決めて来てくれないかと。これはもう、神様がこっちに行けと言っているのかなと思いました。
Y:そんな気がしますよね。本当に、努力は誰かが見てくれているんですね。
【後編に続く】
(プロフィール)笹川祐子
株式会社イマジンプラス代表取締役社長
北海道滝川市出身。藤女子大学英文学部卒業。
札幌市内の出版社やパソコンスクール運営等を経験、その後起業を目指し29歳で上京。
1995年インターネット関連のサポートビジネスの新規事業に着手、新規事業の法人化を経て、2003年株式会社イマジンプラス設立、代表取締役社長に就任。
2012年教育事業の子会社イマジンネクストを設立、代表取締役に就任。
著書には『絶対幸運体質』(電子書籍)。
社長ブログは女性社長や本・読書ランキングで上位を更新中。
道産子社長会会長、女性経営者の会を運営。
趣味は、神社・温泉・山登り・囲碁
「イマジンプラス社長 笹川祐子の感謝ブログ」
http://ameblo.jp/imagineplus/