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信用の器 フラスコ

10時間寝ましたが、何か問題でも?

人生計画であなたの夢を目標に変えて実現する、シナジーブレインの安田修です。

私は「日曜日は家族のために使う」と決めています。子供がまだ小さいので夜の9時には寝かしつけるのですが、たいがいそのまま一緒に寝てしまいます。月曜の朝、目覚めるのは7時なので実に10時間、眠っていることになりますね。それだけ寝ると、さすがに気付くこともあります。

心の穏やかさと幸福感

日曜日に家族とゆっくり一日を過ごしたこと、月曜日を「クリエイティブデー」と設定してアポを入れないことも影響しているかもしれませんが、今は恐ろしく心が穏やかな状態です。月曜の朝が憂鬱な「サザエさん症候群」とは対局の状態にあり、私が月曜の朝ほど幸せを感じる時間は、他にないかもしれません。

大きなビジョンを考えたりするのはこういう状態でないとできないことなので、この日曜から月曜にかけての「システム」はとてもうまく機能しているなあと感じます。私の場合は土曜にイベントが集中するので、そこで得た刺激を頭の中で整理して、次のビジョンに繋げる上でもこの日曜の睡眠は重要です。

頭の切れが尋常ではない

10時間も眠ると、頭の中がすごくクリアになります。今ならどんなに複雑な問題も、シンプルな回答を見つけられる自信があります。じゃあこの時間にコンサルをやってくれと言われても、残念ながらこの状態は自分自身のために使わせて頂きます(笑)。「クリエイティブデー」というのはそういうことです。

そういう頭が冴え渡った状態で、喫茶店に行って仕事と直接的には関係のない本を読む、これが最高の贅沢です。つまり大きく括ると、火曜から土曜までは世のため人(クライアント)のため、日曜は家族のため、そして月曜は自分のための時間だ、ということになるでしょうか。もちろん実際には、それほどきれいに切り分けることはできずに、互いに浸食し合うわけですが、意志としてはこんな感じです。

思えば私も小学生の頃は、毎日10時間くらい寝ていました。そしてあの頃が、一番自分の頭が良かった気がします。社会人になって忙しく働くようになり、睡眠もせいぜい5時間とかそれくらいで頑張るようになると、頭にカスミがかかったような状態で、仕事をするようになってしまっていたように今は感じます。

最適な睡眠時間

いったい何時間眠れば良いのかは、人それぞれの体質によるのだと思います。ショートスリーパーと言われる人達は4時間くらいで支障なく働けるらしいですし、平均的には6〜7時間も眠れば十分とも言われています。私は間違いなくロングスリーパーなので、どうやら8時間は睡眠時間が必要なようです。

もしかしたら、私の最適睡眠時間は10時間なのかもしれません。本当に10時間寝れば頭の切れが最高になるのだとしたら、今の働き方をするのであれば毎日でも10時間寝た方が良いということになります。今は労働時間でお金を貰っているのではなく、純粋に生み出した価値でお金を貰っていますから。

寝ずに働けというプレッシャー

でも10時間寝るというのは、怖いんですよね。「四当五落」なんていう言葉、これは受験をするなら4時間しか寝ない人が合格するけど5時間も寝たら落ちるよという意味ですが、これに象徴されるように世の中には「長く眠るヤツはダメな人間だ」「甘えだ」「寝ずに働け」という強い偏見、プレッシャーがあります。

サラリーマン時代に「10時間寝たい」なんて発言していたらもうそれだけで出世は絶望的だったでしょう。徹夜を繰り返し、げっそりしている同僚が評価されがちなのも見てきました。そんな頑張り方に意味はないのになあ、なんて考えていた私はやっぱり、サラリーマンには向いていなかったのでしょうね。

寝ないで働けば脳の働きが時間とともに大幅に低下して効率が落ちますから、結局は睡眠時間を削ってうす〜く仕事をした気になっているだけです。アウトプットの量は増えるかもしれませんが、質が薄まるので価値(量×質)は大して変わりません。受験だって、実際にはきちんと寝ている子の方がうまくいっているはずですよ。少なくとも私は勉強でも仕事でも、徹夜なんてしたことはありませんし今後もしません。ムダですからね。

睡眠のために起業しても良いくらい

なので、言い過ぎは百も承知ですが、「合理的な睡眠をとるために起業をしても良い」のではないかとまで思っています。昼寝をしたらサボっている、夜しっかり寝たらサボっている、という短絡的な世間の目を気にせず、人生の価値を最大化できる睡眠の仕方を自分で選択することができるのなら、それは素晴らしいなと。

さすがに睡眠のためだけに起業をしたわけではありませんが(笑)、こういう合理的でない世間からの評価基準がイヤになり、全てを自分で合理的に決めていきたいという想いによって起業をしたということであれば、私の場合はそれは言い過ぎではないと思います。それでは、また。