夢とお金の専門家、シナジーブレインの安田 修です。
私は将棋アマ初段です。今は機会が減ってしまいましたが、小学生の頃は、町のおじいちゃん達がたむろする道場のような所に出入りして、夢中で将棋を指していました。プロ棋士になろうと思ったこともあります。そして起業家になった今、事業運営はすごく将棋に似ているなあと思うわけです。
将棋とはどんなゲームか
まあ見たことも無いという人は少ないと思うのですが簡単に説明すると、将棋はお互いに20枚のコマを所定の配置に並べてスタート。交互にコマを動かし、相手の王様を取ると勝ちで、実際にはその手前でゲームは終了します。チェスに似ていますが、取った敵のコマを自分のコマとして使えるところが特徴です。
一番弱い「歩」でも相手の陣地になったら「と金」となったりしますし(土地成金はここから来ている言葉)、様々な戦法・定跡と言われる手筋があり、変化が多くてかなり頭を使うゲームです。基本的には、運の要素は何もありません。最近は、個性的なプロ棋士や、きれいな女流棋士も増えていますよね。
論理的思考力を養う
今は時間があれば、小学校1年生になった息子と将棋を指します。まだ駒落ちといって、私の方は金が2枚と歩だけなのですが、端攻めから竜を作り、上下から「包むように」玉を寄せ、きれいに勝つようになってきました。「どうやったら勝てるかを考えるのが楽しい」のだとか。
この、「考えるのが楽しい」という感覚が、とても大切なのだと思っています。もちろん、子供なので走り回って楽しいのも重要なことなのですが、少しずつでも自分の頭で考えることを、楽しむ感覚を持って欲しいと思っています。これは、自分の人生について考えることにも繋がると思うからです。
3手先を読む習慣を付ける
仕事をしていてもマーケットを相手にしていても、常に「3手先を読む」ことは大切だと思います。「人の半歩だけ先を行け」なんて表現をされることもありますよね。次の打ち手を決めるのに、常に5手も7手も先を読んでおく必要はありませんが、戦術レベルでは3手先は必ず必要になります。
自分が何かすると、相手はどう反応するだろうか、そしたら自分はこうしよう。これが3手先です。相手の反応には数種類ありますので、それら全ての「変化を読んでおく」必要があります。どう反応するかわからないけれど、とりあえずやってみる、という人とは、この習慣で大きな差が付きます。
大局観を持つ
なぜ常に5手先、7手先を読んでおく必要がないかというと、大局観を持っているからです。この大局観という感覚が、将棋や囲碁をやらない人にはわかりにくいのではないでしょうか。部分にとらわれずに全体を大きく捉えて、優勢か劣勢かを判断すること、としか言いようがありません。
将棋をやっていると、この大局観を持つ能力が磨かれる気がします。全てを言語化しなくても、大きな戦略の中で正しいか間違っているかがわかる。スーパーコンピューターにプロ棋士が勝てるのは、この部分に拠ると思います。経験を積んだ経営者に似た能力を、将棋では無意識に使っているのではないか、と感じます。
「投了」をする
そして、子供に将棋を教えていて「良いなあ」と思うのは、いつも礼に始まって礼に終わる所です。これは、武道でもそうですよね。特に、負けた時に「参りました」と頭を下げるのが素晴らしい。勝者も相手に敬意を払い、頭を下げます。まあ、うちの子供はまだ、負けると大泣きするわけですけれども(笑)。
自分の劣勢が明らかになったら、潔く投了してゼロクリアする。事業で言うところの、撤退ですよね。こういう判断を、子供の頃から訓練しておくと、しなやかな人生を送ることができるのではないかと。さすがにちょっとこれは、将棋に対する過剰な期待かもしれませんが。
全ての子供に将棋を教えたら
私自身は子供の頃、真剣に相手をしてくれた祖父や父との思い出もあり、将棋をやって本当に良かったと思います。なので、自分の子供には将棋を教えています。しかし、今も昔も、実際に将棋を経験する子供はむしろ、少数派でしょう。「じじくさい」「暗い」というイメージも未だ、あるでしょうし。
これほど教育効果の高い、優れたゲームは他にない(麻雀も良いですが、ちょっと問題もあり・・・)と思います。仮に、全ての子供が将棋を指すようになったらどうなるでしょう。この国が持つ知的能力は、大きく向上するかもしれません。これからは、それがすなわち競争力を死活的に左右するでしょう。
私は、「全ての人が自分の頭で考えて、自由で好奇心あふれる生き方ができる世界を創る」ために起業をしたわけですから、もしかしたら将棋を日本中の子供に教えていく仕組みを作れれば、この目標達成には大きく貢献するかもしれない。そんな風に思いました。
まあ将来の課題ですし、現段階では妄想ですよ、妄想。とりあえず、ハッシーこと橋本八段が経営しているという、池袋の将棋バーでも行ってみようかな。それでは、また。