夢とお金の専門家、シナジーブレインの安田 修です。
ゆとり教育の迷走に象徴されるように、大人達は子どもの教育について迷い、どうすれば良いのか答えを持っていないようです。今回は、私が考える教育について纏めます。
東大に行くことの是非
いきなり偏差値教育の権化、東大の話をしましょう。結論として、東大に行ける頭があるなら、間違いなく行っておいた方が良いです。社会人になってから頑張って資格を取るより、「東大卒業(合格)」という最強の国家資格を取っておいた方が、何かと役に立ちます。
同級生の中には大して勉強をせずとも東大に自然に入れる頭を持った天才もいますし、将来一芸に秀でることになる努力型の秀才も数多くいます。そのネットワークは最強です。慶応や早稲田も強固なネットワークを持っていますが、やはり東大は頭一つ、人材の質が抜けています。会社の中でも東大出身者はやはり多少、優遇されます。
ちなみに私は北海道大学を卒業しており、受験の時は田舎の高校から割と勉強をせずに入ったので、勉強をして東大に入っておけば良かったかもしれないと思うことが何度かありました。まあ、かもしれないと、その程度です(笑)。そこまで明確に差は出ませんが、会社での扱いもちょっとずつ違うなと感じるんですよね。
では私にとって理想の大学は東大かというと、そうではありません。どこかというと、ハーバードとかオックスフォードですね。子どもが天才だったら、そっちにいくことをアドバイスしたいと思います。
お受験とひまわり
ただ、小さな頃から塾に通わせて、小学校受験(お受験)をさせて、努力に努力を重ねさせてまで東大に入れるほどの価値は無いと思います。あくまで、ちょっと勉強をすれば入れる、という子が入れば良いと思うだけです。結局、大学を出た後の競争の方が厳しいのは間違いないので、無理をしてもメッキがはがれるんですよね。
先日セミナーで聞いた話で、「ひまわりの実験」というのがあるのですが、ひまわりにヘリウムガスの風船を付けて引っ張り上げたらどうなるかというもので、どうなると思います?なんと、何もしなかったひまわりの3分の1の大きさにしかならなかったそうです。真偽の程はわかりませんが、人間も同じなのではないかと感じますよね。
その子が持つ潜在能力は、自分で開花させるものです。周りが強引に引っ張り上げるものではない。無理をさせれば、どこかで息切れします。私の好奇心がこの歳になっても衰えないのは、一度も努力を強制されることが無かったからだと思います。そのことは、本当に両親に感謝しています。
自分の子どもにも、決して線路を引いたりすることはしたくないですね。大体、これからの時代、どの線路が正しいのかも親にはわかりませんから。自分の頭で考えて、好奇心に溢れた人生を、好きなように生きて欲しいと思います。
大人の背中を見せること
それでは、親として自分の子どもの教育のためには何ができるでしょうか。これは、たった一つしかないと思います。大人の背中を見せることです。
あれをしろこれをしろと言っても子どもは聞きません。でも、親が何をしているのかは興味津々でじっと見ているんです。家で良く大人が本を読んでいれば、子どもも興味をもちます。テレビばかり見ていれば、テレビばかり見るようになるんです。それを怒っても、無駄です。親がやっていないことをやるわけがない。
親が勉強をしていないなら、子どもに勉強をさせることはできません。「何のために勉強をするの?」と聞かれて、答えられないでしょう。なので我が家では、子供部屋よりも優先して書斎を作っています。大人が勉強をしている姿を見せることが、一番の教育だと思うからです。
親がつまらなそうに仕事をして、毎朝嫌々会社に行き、疲れ果てて帰ってくる。これも子どもに与える影響は非常に大きいと思います。仕事は楽しいもので、早く自分も働きたいと思わせることが親の大切な役割だと思います。そのために会社を辞めたと言っても、嘘ではありません。今の自分は、それができていると思うのです。
教育に過剰な期待をしない
ということなので、教育にそれほど期待をしても無駄です。良い大学に入れるために大金を使って、全力でサポートしたところで、これから生きていくのは子ども自身なのですから。ひまわりを引っ張り上げてもだめで、太陽が当たっているかな、水は足りているかなということだけ見守っていれば良い。
知識を詰め込んだだけの人間がコンピューターに叶うわけは無いのですから、地頭以上の大学に無理して入れるメリットなんて無いんです。それよりは、生きていく意欲を持てるように背中を見せましょう。勉強が苦手なら、どの分野でどうやって戦っていくか、考えさせましょう。それこそが、教育の本質です。
親の自己満足で、子どもに何かを押し付けてはいけない。私の教育観というのは、言ってしまうとそれだけです。あなたは、教育についてどのように考えますか。それでは、また。