夢とお金の専門家、シナジーブレインの安田 修です。
たまに相談者の方で「自分なんかFラン大学出身だから・・・」という人がいらっしゃいます。私は人のことをダメと断じることはめったにありませんが、この人ははっきり言ってこのままではダメです。起業はおろか、サラリーマンとしても頭角を現すことはまず、ないでしょう。いったい何がダメなのでしょうか。
まず、Fラン大学とは何か
Fラン(あるいはF欄)大学とは、Fランク大学を1文字略したネット用語です。NAVERまとめ(出典としてはアレですが、ネット用語なのでやむなし)によれば、
一般には、偏差値が日東駒専(日本大学・東洋大学・駒澤大学・専修大学)より下の大学を指すことが多い。
河合塾が「Fランク大学」(偏差値を付けることが不可能な大学・学部)という分類をつくったことが始まりである。
とのこと。へえ〜っ、そうなんだ。いずれも知りませんでした。余談ですが、何でもとりあえずググる習慣は大切ですね。電車での移動中などに気になったことを片っ端からググる習慣がある人とそうでない人とでは、知識量やボキャブラリーに相当な差が付くのではないかと思っています。
要するに、偏差値の低い大学のことを侮蔑的にあるいは自虐的に「Fラン大学」と呼ぶわけです。一般社会では使われる言葉ではなく、今までネット上と居酒屋くらいでしか聞いたことがなかったのですが、体験セッションにいらしてこういう表現を自らに使われる方が何人かいて、驚いたわけです。
学歴は高い方が良いのか
私は学歴に関しては「そりゃできれば高いに越したことはない」と考えています。仮に中学生や高校生が来て真剣に進路について相談されたら、「国内だったら、東大に行けるなら行っておいた方が良いよ」とアドバイスするでしょう。必死にやれば通る、というくらいの学力なら、必死にやっておいた方が良いでしょう。
自身の北海道大学という学歴に不満はありませんが、会社員時代には「もう少し頑張って東大に行っておいた方が良かったかな」と思うこともたまにありました。同じ能力でも、やはり東大の卒業証書はよりレベルの高い「品質証明書」として機能して、持っているとちょっとだけチャンスが広がる感じも正直しました。
あと、高学歴の大学であればあるほど、同期や同窓の人の質が高いですよね。もちろん例外は数限りなくあるわけですが、やっぱりその中から優秀な人が出てくる可能性が高いわけです。起業をするにも、「いや〜、同窓なんですよ先輩」と言いながら大経営者に会いに行ったり、ちょっとだけしやすくなるわけですよ。
あえて言えば、学歴の低さは短所である
あえて厳しいことを言えば、学歴が低いということはその人が「勉強が苦手」ということを示しています。これは、「運動が苦手」「対人関係が苦手」と同じように、一つの短所であることは確かです。勉強が苦手だということは、おそらく事務作業や企画系タスクもまた、苦手なのではないかと推察されるからです。
「やればできるが、学生時代は手を抜いていた」と言うのであれば、その人はきっと会社に入っても同じように手を抜くだろうと想像されます。「本当はできるが、たまたま本番に弱いだけ」であっても、やっぱり重要な仕事は任せられません。受験で結果を示すことができなかったことは、一つの短所であることは事実です。
なので社会人として学歴の高いライバルに勝とうと思えば、人一倍の努力をして短所を補うか、何か別の長所を伸ばして、例えば突出した営業力や調整力を発揮するなど、工夫する必要があるわけです。「学歴は関係ないよ」などと甘い言葉よりも、この事実を認識する方がよほど本人のためになるのではないでしょうか。
学歴よりも大切なもの
ということで、学歴が低いということは、少なくともサラリーマンとしては一つの短所を抱えてのスタートとなります。かといって学歴で人としての優劣が決まるかというと、そんなことは全くありません。中卒で成功した偉大な経営者は大勢いますし、東大卒でも社会人として全く活躍できない人も大勢います。
冒頭の「自分なんかFラン大学出身だから・・・」という人の問題点は、実は「Fラン大学」のところではありません(まあ、出身大学を自らFランと呼ぶのも問題ですが)。その前の「自分なんか」であり、後の「だから・・・」の部分です。そこで低くなってしまっているセルフイメージこそが致命傷なのです。
自分が会社や社会から評価されていないのは学歴のせいだ、としてしまっている考え方こそが本当の問題です。いわゆる、学歴コンプレックスですね。社会人として3年も経てば、学歴なんてほぼ関係ありません。せいぜい、最初のスタートラインが一歩後ろから、というくらいでしょうか。
そこで逆転できていない、むしろ差が広がっているということは、それってもう学歴のせいではないんですよ。人間であれば長所もあれば短所もあるのは当たり前(私も短所がすごく多いです)ですから、自分はどこで戦い、勝っていくのか、真剣に考えて生きていきたいものですね。それでは、また。